私(ジン・リッチ)の目的が、日常が、人生が、遺伝子からRichになれるようなモノ・コトを届けることだということはHPにもすでに記載している。
今日は私(ジン・リッチ)が誕生した経緯、名前、ロゴ、それらについて語ってみようと思う。
ジン・リッチ、誕生。
人と話をしたり、その人の過去や未来への考えを聞いたりすることは好きだけれど、内側の自分と外側の自分が少しずれていて、僕は困っていた。
どうも、他人が見て接する僕へのイメージ像と僕が思うぼくへのイメージ像が異なるらしい。
無口で悩み事などなく、誰にも頼ろうとせず、強いイメージ、人のことなんて見下している感じがあるのだとか。
これだけは言っておく、ショックだ。
そんなことは一切ない、確かに困りごとや悩み事、解決すべきことがあっても誰かに助けを求めることはほとんどしてこなかった。でもこれには誤解がある。してこなかったのではなく、できなかったのだ。
当たり前だ。断られたらどうする?傷つくじゃないか。ある人が困っている誰かを助けているのを見て、困ったときには、僕も人に助けを求めようと考える。
ある日、道端で困ったことが起きた。すると以前困っている誰かを助けていた人が、たまたま目の前を通り過ぎようとしている。たまらず僕はその人に声をかける。「すみません」するとその人は少し困ったような顔で、「あぁ、ごめん。無理だ」と断ってきたとする。
ショックじゃないか?
もちろんたまたま目の前を通り過ぎようとしているその人にも、時間の都合や体調、様々な事情があることは百も承知だ。三歩譲ってもいい。三歩だけだ、それ以上は譲れない。
それでもショックだ。だって僕はこれまでにも多くの人が困っていると時に手を差し伸べて、多くの人が助けを求めているときに助けになろうと努力してきた。
その結果が、自分が困った時や助けが欲しいときに頼ろうとすると断られてしまう…これなのだから。
いや、もちろんこの話は現実に起こった出来事ではない。
だって僕はこれまでに誰にも助けを求めたことがないのだから。だから断られたらショック、なんてのは経験もないまやかしに過ぎない。
でもだからこそ、だ。だからこそ、経験がなく、怖いからこそ、僕は誰かを頼ることができない。
そんなことを繰り返すから、周囲からは孤立していてもきちんと生きているだけで、悩み事もなく前向きで、強いイメージが定着する。違うんだ、ぼくはもっと皆と関わりたいし、皆を豊かにすることで自身も豊かになりたい。
仮にぼくが強さを持ち合わせているとする、そこに弱さが混じっていたらダメなのだろうか。
そんな世の中はどこか間違っていて、善も悪もきっちり分かれていて当たり前だと言っているようなものだ。
いいじゃないか混沌としていて、善も悪もあいまいで、でも、皆どこか根本的には悪があり、根本的には善があり、そうやって正しいと思う方向を見つけて自分で進んでいくんじゃないか。
そんな自分の思いや何かを伝えてくれて、導いて、体現してくれる代理人が必要だ。
そこで彼は考えた。
どんな人物なら、自分の中に眠り、他人の目には見えていない本当の自分を伝えてくれるだろうかと。
毎日、眠る前に考えた。考えてかんがえて、ある日、私(ジン・リッチ)が生まれたのだ。
ジン・リッチの由来
私の名前の由来は単純だ。いや、単純といってしまうと格好がつかないのでシンプルだと言うことにしよう。
「遺伝子から、豊かに。神様から、先祖から与えられた贈りものを、豊かにしよう。」
遺伝子を豊かにする、というのは実際には科学的な何か根拠があるわけでも、本当にそういう成分や性質があるものを提供できるわけでもない。単なる思想に過ぎないが、この考えが私は気に入っている。
英直訳すると、Gene-richなので本来は「ジーン・リッチ」とするべきなのだろうが、マイナスが名前に入っているのが気になり、マイナスをプラスに。ジーン → ジ+ン = ジン これがジン・リッチの由来だ。
覚えやすく、シンプルで気に入っている。
ロゴに込められた意味
ココが原点、コレが出発。誰よりも自由に、美しく。
「ケツァール」という鳥をご存じだろうか?
私も最初、何で知ったのかは覚えていない。飼育が非常に難しく、決して動物園では見ることができない。
だから誰からも支配されない自由の象徴のような鳥がいる。
検索してみて欲しい。美しく、何とも可愛らしい姿が心を沸き立たせる。
小さなアボカドの実が好物らしく、丸呑みして胃で溶かし、種を吐き出すようで、森の循環にも貢献している。
そのアボカドを丸ごと口に咥えて飲み込もうとしている姿が愛くるしくてたまらなかった。
自由に、美しく、貢献し、愛らしく。そんな願いを込めて生まれたロゴがGene-richのロゴ。
ロゴは時が経つにつれて変化していくこともある。これからどんな風に変化していくのか楽しみでたまらない。